やたらと、タイムリープする作品が増えたのはなぜか?

 去年たまたま体調を崩して休養をとってるときに、癒やしをもとめて行った新宿御苑での事。高校生のときに読んだきりだった、世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドを再読してみたんです。世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドにやたらこだわってるのは、このときちょっとした衝撃があったためです。


 高校生の時は分からなかった、この小説の秘密が分かってしまったのです。


 ひとつは、世界の終わりという脳内世界が、新宿御苑をモチーフにしたものだったこと(村上春樹が認めたわけではありませんが、これはもう確実でしょう)詳細はこちらをご覧ください。

もうひとつは、この作品が、作家のあり方を示す啓蒙書の様な内容であったことです。 


 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドには、

 「オリジナル作品を作るために、作家が脳内に完璧な世界を構築するという作業。これを完璧にできる人間は、選ばれた人間(作家)だけであり、作家はその世界に責任をもつ必要がある」

という事が書かれている小説だったんです。(個人の感想ですがだいたいあってると思います)

 村上春樹はそれを自分の目標として書いたと思われます。SFやファンタジーのように見えますが自伝的小説と言われるのはそのためです。(そういう風に意識して読むと、かなりダイレクトにそういう内容だと分かります。)

  これが、セカイ系のもとになったと言われる所以です。セカイ系というのは現実にあるものではなく、作家の脳内世界をモチーフにして作品化したものなんです。

 しかし、近年、セカイ系はもう衰退してきており、脳内ではなく、インターネットの世界を描いたもの、つまりバーチャル世界や異世界転生が主流になってきています。これは、脳内の妄想ではなく、確実にネット(主にゲーム)の世界がモチーフなんです。


 では、セカイ系はもう無くなるジャンルなのでしょうか?


 近年、異世界モノとは別に、なくしたものを取り返すようなタイムリープを使った話がやたら増えました。これは、かつてセカイ系を作った世代が、セカイ系の元になった脳内世界を失いつつあり、それを取り返そうとしてるからだと思うのですね。

 このタイムリープモノは、じつは4種類にわかれます。

 一つ目ですが、タイムマシンの発明により起きた出来事を描いた従来からあるタイプ。時をかける少女やバックトゥザフューチャー。夏への扉などの古典がそれにあたります。

 最近増加傾向にあるのが二つ目。ゲームのコンティニューに相当する繰り返しと、過去に失った後悔に対するやりなおしです。 リゼロやオール・ユー・ニード・イズ・キルなんかは、明確にゲームをモチーフにしたループです。 

 三つ目ですが、orangeやReLifeです。これは、純粋に人生をそろそろ、やり直したいという世代の感傷に見えます。内容もタイムリープとはちょっと違う切り口になっています。

 最後に四つ目ですが、僕だけがいない街、シャーロット等は、失われたセカイ系を取り戻す後悔の穴埋めではないかと私は考えています。

 前のエントリー「「シンゴジラ」と「君の名は。」は、何が違うのか。 (ほぼネタバレなし)」で書きましたが、セカイ系が生まれたきっかけは、1990年初期にあった連続幼女誘拐殺人事件とオタクバッシングが背景にあると私は考えています。当時のオタクがすべて、バッシングをさけるためにオタクを隠していたかどうかは別にしても、脳内に自分の王国を築く必要にせまられた時期でした。特に、僕だけがいない街は、ダイレクトに事件をあつかっていますよね。

 古典タイプはともかくとして、ゲームタイプとセカイ系やり直しタイプは、似ていますが、ゲーム系は何度も繰り返して正解を見つけるのに対して、後者は、

 たった一つの正解が目標になっています。

 この正解こそ、かつてのセカイ系が目指した完璧な脳内世界だったのではないかと私は思うのです。

 もちろん、すべての作品に完全にこの考察が当てはまるとは言いませんが、かなり傾向としては強く出ているのではないでしょうか?